ゆとり教育の対極がもたらすモノ
某RO系ファンサイトの質問板で「受験でROやめたけど頭の中がROで一杯で」的な質問がありました。普段だったら「とりあえず手遅れだから回線で首吊っとけ」的な解答が出るところですが(実際いくつか出ていた気はします)珍しく真っ当な解答が多数寄せられていました。その中で長文で「受験攻略法」を伝授しようとしている人がいました。こうすれば偏差値65以上が取れて旧帝大医学部もバッチリだ!とかいう内容。彼は恐らくそれを実践して旧帝大クラスの医学部に入ったのでしょう。だが彼の文を読むにつれ何か違和感を感じるようになりました。それが決定的になったのはこの文でした。
ちなみに高校などの学校あるんなら授業はきかないほうがいいよ。 授業は大学入試に沿ってなくてレベル低すぎのこと多いから内職するべき。
この後も彼の講釈は続いていきます。
>そこまで割り切っちゃう位レベルの低い先生&授業だったんでしょうか そうでもなかったんだが、例えば、 神戸大の工と阪大の工と京大の工を比べると 偏差値55、60、65というくらいの違いがあるわけで、 学校の授業ってそこそこの進学校でも、京大レベルのところまではやってくれない。
その後別のレスにて。
> でも受験に役に立たない授業はいらないっていうのは教員の知り合いとかを > 見ている身としてはちょっと切ないものがある。 その学校の授業のレベルで行ける大学を受験するなら授業だけいいでしょう。 しかし、それより上に行きたい人もいます。その場合は授業では無理でしょう。 (中略) しかし、授業というものはレベルがすべての生徒にあわせれるレベルには できないですよね? だから、ついていけない人もいるし、簡単すぎて聞く気にもなれない人もいる。 だから、そういう場合はまじめに聞くより、内職するなり、寝るなり、漫画読むなり するほうが有意義ですよ。 私の母校の先生は、 「授業がみんなのレベルにあわせられないので、寝たい奴は寝て、 受験の体力にしろ!」と言っていた先生もいましたよw
一見正論には見えますが結局彼の言葉と他の人の言葉は議論として最後までかみ合うことはありませんでした。
彼は一体学校に、学校の授業に何を求めているのでしょうか?彼にとっての授業というのは受験のための勉強をする場であってそうでないものは全く要らないものなのでしょうか?彼の文からは有名私大が軒並み予備校化していること、生徒もそれを望んでいるであろうことが伺えます。公立高校はゆとり教育で学力が低下し、その反面厳しくやる私大のニーズが広がっていると言われますが反ゆとり教育として与えられる教育がこれならどちらでも大差はないと思うのですが。
書きながら覚えるというのは公式ではありません。 公式は並以上レベルの者ならみんな覚えていて当然のものでしょう。 しかし、公式の適用方法をわかってないと意味無いです。 例題の解答を理解しながら書き写すことで、 実際の血の通っていない公式を血の通った公式として覚えるのです。 青チャの例題の解答など1問あたり100行も200行もありません。 この解答を書きながら(計算しながら)、そして理解しながら、 問題と解答を暗記していくという課程が重要です。 数学はそこそこのレベルの問題になると公式だけ覚えていて 瞬殺できる問題は少なくなってきます。 だから問題ごと覚える必要があるのです。
彼の講釈は「受験の勝ち方」としては限りなく正解に近いでしょう。彼自身塾講師の経験もあるようですし。でも純粋に教育という見地で見たときに彼の考え方にはうすら寒いものを感じます。
彼の言う「血の通った公式」は本当に血が通っているのでしょうか?公式は確かにツールであることは工学系の人間としては理解しています。でも簡単でも動作原理を知っているツールとそうでないツールの効用の差は大きいです。そのことを理解させるための教育というのが本当に求められている教育ではないでしょうか。そして私が学生だったころはそのニーズに答えられる教師もかなりおられたと記憶しているのですが…。
さて、私は学歴を求める時代は終わり、 次は年収/労働時間をいくらまで高められるかに挑戦したいと思う。 今の年収は500万↑ほどだが、将来は実業家になり億単位の収入を得たいものである。 3-4年後には年収は2000万になっているだろう。何の仕事かは秘密である。 この金をうまくためて事業経営できればいいのだが・・・・
彼の将来が幸多からんことを。